阿羅比良の舞
「関」または「世鬼」とも言い、またこの地に伝わる古文書には「きがえし」と記されている演目で、北広島町に天正年間より伝わる神楽台本「荒平舞詞」に登場する荒平の演目が元になったものと思われ、十二神祇神楽では将軍舞とともに古来の神楽の形を今に伝える重要な神楽とされ下河内神楽団では神楽の最後の演目として舞われていました。神堂に舞い遊ぶ万能の力を持った阿羅比良大神と太夫が問答を繰り返す舞いで、太夫は、祭文を節をつけて歌うように語り、問いかけに阿羅比良が返答するという問答形式でゆったったりと舞いが進んでいきます。太夫は、阿羅比良が鬼大将たる所以や生老病死、森羅万象の吉凶を司るとも言われる「男子繁昌の杖」(死繁昌の杖ともいう)の因縁を問いただし、最後に阿羅比良大神は太夫の持つ神剣と杖とを交換し杖を里人に授け世の天下泰平がなるという神楽で、阿羅比良が太夫から受け取った神剣を手に天下泰平の舞を舞って、その夜の神楽の舞い納めとなっておりました。