神楽団の紹介

下河内神楽団のあゆみ

下河内神楽団のはじまりは天保年間、佐伯区五日市町河内地区で活動してまいりました

 

神楽団創設から・・・

広島市佐伯区五日市町下河内地区に江戸時代後期より伝わる神楽団です。河内神社を拠点に活動しておりますが河内地区には神楽団が2団体あり河内神社では1年毎交互に奉納しております。(元号、西暦とも現在は偶数年に下河内神楽団が奉納しています。)
団の創設は天保年間となっていますが、当地区に伝わる古文書によると下河内神楽の基となったと思われる神楽は文明9年の記述がある五行祭祭文神道の書に著された盤古大王遺産相続の記述を物語にした基本神楽と天文15年記述の土公祭祭文に端を発する弓神楽を発展させた神楽で、文政初年頃には社人によって当地の氏神祭に奉納したとの記述が残っています。江戸時代後期になって神職によって行われていた神楽が里人へと伝えられ里神楽として奉納されるようになりました。
下河内村では、天保年間に森岡泰次郎他数名の者が神職山田加賀守より伊勢神楽の伝授を受け、影田多助、岡崎武助、二井保太郎、野田勘ーに伝えて下河内神楽団を結成、後に周辺の神楽に倣って安芸十二神祇神楽と呼ぶようになり代々受け継いで参りました。 

 
 

伝統の旧舞の継承と新舞取り組み

第2次大戦中は継承者の減少などにより一時中断した時期もありましたが昭和24年に有志が集まって復活し活動を続けて参りました。昭和50年代後半頃より再び団員の減少で神楽団の存続が危ぶまれるようになり2年に1度の奉納だけでなく活動の幅を広げ神楽団の活性化にと当時の若手団員数名が広島県北部地域で盛んな山県舞(6調子)や高田舞(8調子)と呼ばれる芸北神楽の導入に尽力し、従来の十二神祇神楽を旧舞、芸北神楽を新舞として、現在の下河内神楽団の保持演目が形作られています。
近年は、公演回数も少しずつではありますが増え年間を通じて活動しています。
現在は、各種イベントなどでは芸北神楽の公演が増えていますが秋祭りなどでは十二神祇神楽の奉納を行い伝統ある儀式舞を後世へと継承して参りたいと思っております。